ジャガイモとひき肉のチーズ焼き、焼きブロッコリー、冷食チキンカツ、青のり入りだしまき玉子、梅ゴマごはん。
ウェブショップの閉鎖に伴うセールは31日のショップ終了まで続きますが、ひとまずひと段落と言った感じです。
先週たくさんのお客様のところへ、アクセサリーが次々と旅立っていきました。
今回は受け取ったみなさまから喜びのメッセージをたくさんいただきました。
みなさんが、ずっと気になっていた石やアクセサリーとご縁を結んでくださったのです。
わたしはそれがこんなに嬉しいものなんだなぁと改めて感じ入りました。
自分で決めたことですが、全て半額ですからわたしの方はやはりちょっぴり寂しいというか(笑)価値あるものしか出していないので、惜しい気持ちが芽生えてしまうかしら?と思っていたのですが、それがほとんどなくて、ご縁のある石たちをみなさんにお届けできて心底嬉しいという思いを再確認することができました。
反面、自粛期間中はオーダー以外は制作はしていませんでした。
なぜか仕事のために新しいものを作ろうという気持ちにまるでなれず、マスクを縫ったりガーデニングをしたり、今まで作ったことがなかった料理にチャレンジしてみたり、毎日いろんな筋トレをしたり、気持ちが動くことだけをやってみました。
その中で自分の中の小さいけれども、「あれ?こんなことするひとだったかな?わたし?」と、意外な物事に出くわしてびっくりしたり楽しかったりしつつ、可能性(と呼ぶにはささやかですが。笑)の扉がパタパタ開いています。
つい最近すごく意外なことに気づきました。
それは
「わたしはラッキーな人間だ」ってこと。
ラッキーさが自分のこれまでの人生を支えていて、「これからの自分もこのラッキーさが最後の最後までわたしを生かしてくれるんだ」という事実に気がついてしまいました(笑)
ラッキーであることって、偶然の産物みたいなものだから、いつもは望めないし、コントロールもできないし、そもそも「わたしがラッキーであること」はわたしの管轄ではないとずっと思っていました。
だからラッキーなことが起きるたびに、または、振り返ったら相当ラッキーだったなぁと思うことがあるたびに、なんか神様とか宇宙に感謝しなきゃなぁとか思ってたんですが、ラッキーなことは私の質であり、わたしの技であり、わたしが元々持ってうまれているもので、誰もそれを奪えないのだ!と気づいてしまったのです。
しかしながら、ワインを一本飲んでしまった後のお風呂の中での気づきだったので(笑)こりゃ酒豪意識のなせる技かもしれん!と思って次の日に改めてそのことを考察しました。
その次の日ももちろんシラフで(笑)考察していたら、それはやはり確信していいものだなと思い至りました。
ですからね、話が戻りますが、今回suryaの最後のセールでお買い上げくださった方々はラッキーなんだなって。
わたしはラッキーなんだから、その特質は惜しみなく周りに循環させて良いんだなと。
仕事なんだから儲けは最低でも何%とか、なんかそれはとても大切だけれども、お客様や友人や家族、周りの人が「ああこの人との縁があったからわたしラッキーだったわ」と、束の間でも思ってもらえたら、わたしは自分のラッキーであるという質を循環できるし、そうやって感じてくれた方もきっとラッキーを生まれ持った人なんだろうなぁとか、そんなことをしみじみ思っています。
今回マスクを大事な方々に作って差し上げたり、zoomで無料の筋トレクラス(わたしはトレーナーじゃないので、教えるというより一緒に筋トレしましょ!という内容)をやったりして、それはわたしが何より楽しくてやりたくてやってるんですが、その相手の方々はもしかしたらラッキーですよね(笑)
ラッキーの押し売りみたいになるのは嫌だから、あんまりそういう言い方したくないんだけど(笑)
「ああ、あのときあの人からあれを受け取れてラッキーだったなぁ。わたしっていつもラッキーだなぁ」って思ったら、たぶんその人は生涯ラッキーなんですよ。
まぁそんなふうに、自分のラッキー体質をこれからどうやって活かしていこうかな?なんてよく最近考えています。
よく考えてみたら、わたしが出会ってきた何百、いや千は超えてますが、石たちとの出会いのほとんどは相当ラッキーです。
こんな石、このタイミングでこの値段!ありがとう!!!みたいなものばかりです。
もちろん値段のことだけではないですけど、例えばね。
人との出会いもラッキーすぎてびっくりします。
わたしはラッキーの申し子(笑)
だからこれからはどんどんこのラッキー循環を楽しみたいと思っています^ ^
長々と書いてしまいましたが、今そんな感じです。
めでたいですね(⌒-⌒; )
読んでくださってありがとうございました❤️
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